VS ディベ。 A_rch


先日、アニキにくっついて先輩にあたるS吹越氏の竣工物件を見学に行った。
ディぺ仕事に必須の「容積を食らう」ことに始まってできあがったフォルムは、これ以上食べられませんと言わんばかりの巨大なボリューム。その巨大さに負けじと、人のスケールに近いランダムな開口と平葺きのシルバーガルバの繊細さが対峙して、ただ容積を食ったら、、、ちょっと軽くみせたくて、、、と簡単には見えてこない均衡した状態がどちらにもうるさくなくて気持ちいい。
平面に至っては、これも同様に「容積を食らう」からできた五角形の中に、設備コアと構造のコアを中心から放射状に各辺へへまとめて、ちょうどヒトデのカタチに納め、残りのコアに挟まれた、水かきのある動物の足のちょうど指と指の間にある部分にあたる、矩のない空間を居室として構成した、単純さ故の秀逸な平面形となっている。というと、アニキ好みに合理的な作り方一辺倒にもとれるが、できたその「矩のない平面」は氏の言うように、「矩」がないからこその広がりと奥行きが不思議な場所となっていて、先の説明はあくまでアニキ用につくられた筋書きに過ぎないともとれる。
その居室の残りの2辺、ファサード部分にあたる面はすべて開口となっていて、RCで「あみだ」上にサッシが分割され、それがちょうど外周のランダムな開口となっているが、そこにはN氏の鎌倉の住宅のように、室を抽象化して「矩」のなさを追求して味わえるのものとは異なり、そこに氏の、平面と立面での意志の格闘が感じられ、逆に平面と立面の分離がかいま見れる。
好みの問題と容易く割り切れるとも思えるが、おそらくそこにはもう一つ、施主であるディベの介入もあったに違いない。
そのサッシに限らず、わずかにある水回りのインテリアの納まり、仕様からしても、期待していた氏の繊細さがなく、どこか違和感があった。知る限りでは、コストとルーティーンに押しつぶされてしまったのであろう。
それでも、氏の名前を値札に加え破格の賃料で、平然と大食いをする。
ディぺに始まりディベに終わる。
やはり、少なくともこちらにいる限りはこの数字のロジックとつきあって行かざるを得ないのかと確信して、戦い続ける闘志を燃やす反面それほどの気力がどこから沸くのか、ふと自問自答してみたりする。
2007.11.27 edit


先日、アニキにくっついて先輩にあたるS吹越氏の竣工物件を見学に行った。
ディぺ仕事に必須の「容積を食らう」ことに始まってできあがったフォルムは、これ以上食べられませんと言わんばかりの巨大なボリューム。その巨大さに負けじと、人のスケールに近いランダムな開口と平葺きのシルバーガルバの繊細さが対峙して、ただ容積を食ったら、、、ちょっと軽くみせたくて、、、と簡単には見えてこない均衡した状態がどちらにもうるさくなくて気持ちいい。
平面に至っては、これも同様に「容積を食らう」からできた五角形の中に、設備コアと構造のコアを中心から放射状に各辺へへまとめて、ちょうどヒトデのカタチに納め、残りのコアに挟まれた、水かきのある動物の足のちょうど指と指の間にある部分にあたる、矩のない空間を居室として構成した、単純さ故の秀逸な平面形となっている。というと、アニキ好みに合理的な作り方一辺倒にもとれるが、できたその「矩のない平面」は氏の言うように、「矩」がないからこその広がりと奥行きが不思議な場所となっていて、先の説明はあくまでアニキ用につくられた筋書きに過ぎないともとれる。
その居室の残りの2辺、ファサード部分にあたる面はすべて開口となっていて、RCで「あみだ」上にサッシが分割され、それがちょうど外周のランダムな開口となっているが、そこにはN氏の鎌倉の住宅のように、室を抽象化して「矩」のなさを追求して味わえるのものとは異なり、そこに氏の、平面と立面での意志の格闘が感じられ、逆に平面と立面の分離がかいま見れる。
好みの問題と容易く割り切れるとも思えるが、おそらくそこにはもう一つ、施主であるディベの介入もあったに違いない。
そのサッシに限らず、わずかにある水回りのインテリアの納まり、仕様からしても、期待していた氏の繊細さがなく、どこか違和感があった。知る限りでは、コストとルーティーンに押しつぶされてしまったのであろう。
それでも、氏の名前を値札に加え破格の賃料で、平然と大食いをする。
ディぺに始まりディベに終わる。
やはり、少なくともこちらにいる限りはこの数字のロジックとつきあって行かざるを得ないのかと確信して、戦い続ける闘志を燃やす反面それほどの気力がどこから沸くのか、ふと自問自答してみたりする。








